3.11 東日本大震災のあの時

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今日は3月11日、あの東日本大震災が起こった日です。
9年前のこの瞬間、ボクは東京にいました。

自宅は名古屋なのですが、東京の会社にも所属していたボクは東京のオフィスで仕事をしていました。
突然突き上げるような揺れの後、ものすごく長い横揺れが続いたのを思い出します。
東京でも震度5強、自分の身を守るため、状況把握のためにみんな大騒ぎしていました。

1回揺れがおさまってボクは外に出ました。
その時です、また大きな振れがやってきたのですが、その時に見上げたビル達が波のようにうねっていたのを未だに憶えています。
その後も大きな揺れが何度かあり、会社のみんなに帰宅を即していました。

その日は名古屋に戻る予定でいたのですが、山手線、地下鉄が全てストップ。その後少しして新幹線もストップとの情報が入り、いたしかたなく東京に泊まることになりました。

会社の1人が気を利かせてすぐにホテルの予約を取ってくれたので良かったのですが、その日はみんなが同じ状況のためにホテルに泊まれない人たちが街に溢れていました。
たまたまとってもらったホテルの空きが高層階だったのですが、チェックインしてからも1分に1回の有感地震のため、いてもいられぬ状況でした。

思い切ってお風呂にも入ったのですが、バスタブの水が揺れで零れ落ち、緊急地震速報の音がずっと鳴り響いていました。

ホテルの窓から外を眺めた時、異様な光景でした。
沢山の人が夜中なのにも関わらず道を埋め尽くしているのです。
自宅に帰る交通機関が無くなってしまい、遠くまで徒歩で帰宅している人たちの流れがずっと道を覆っていました。
後から聞いた話ですが、道沿いにある自転車店の自転車が全てなくなる程、帰宅困難になってしまっていたようでした。

ホテルにいられること自体が恵まれているのは感じていたのですが、あまりの有感地震の連続と緊急地震速報のために全く寝ることができません。また、どんどん恐怖感が煽られていきます。既に自分の恐怖を少しでも抑えることしか考えられなくなっていたのだと思います。

高いところは小さな地震でも大きく揺れてしまいます。そのためにボクはホテルのロビーに降りていきました。揺れを少しでも小さく感じられるロビーには既にたくさんの宿泊者がソファーでグッタリしていました。

ホテルの方たちがボクを含めた宿泊者の方に、ソファーで眠れるように毛布を配布してくれていました。

眠れないまま朝を迎え、ボクの頭の中は「早く東京を出たい」と願っていました。
始発で地下鉄が動くとの情報が入り、もうすぐ始発が走りそうな時間だったためにすぐに準備をして駅に歩き始めました。

あの地震発生から、もう12時間以上経ってもまだ有感地震と緊急地震速報は響いています。
運よく地下鉄に飛び乗り、品川駅につながる浜松町まできたのですがJRが動いていません。

タクシーも捕まる気配がありません。タクシーが捕まったと思っても運転手さんが「もう勘弁して欲しい」と言うほど1日中大変な状況だったようです。

タクシーも拾えずにしょうがなく浜松町から品川まで歩き始めました。
早朝なのにも関わらず、沢山の同じような歩く人たちがいました。
外にいるとみんなの携帯電話が一斉に緊急地震速報を奏でます。
みんなが一斉に音に縮こまるのがわかります。

品川駅について、新幹線が動いているのを確認した時、すぐに切符を買って少しでも早い新幹線に乗りました。

新幹線が動いた瞬間、本当に「ホッとした」のですが、東京に住んでいる人たち、またもっと大きな被害にあっている人たちのことを考えるとなんとも言えない感覚でした。

名古屋の自宅に到着して、今起きている色々なことがやっとわかってきました。
まるで現実ではない作り物のような恐ろしいことが起こっている。

今まで何の恐ろしさも感じたことがない津波で多くの方が亡くなっている。
街が壊滅している。
メルトダウンしている。

ボクは本当に恵まれていると感じました。

9年前のあの時、お亡くなりになられた方のご冥福を心よりお祈りいたします。
また、あの時の恐怖と悲しみを乗り越え、今また笑顔で過ごされておられる方たちに敬意を表します。

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